Uncertain Odyssey


世界叙情記
by crescentadv
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サマーワのカフェにて

連日の流血事件にもう感覚も麻痺してしまっているイラクの情勢だが、元来彼の地は静かな穏やかな自然と人々の暮らし、それにゆったりとした時の流れる地である。歴史的にも、かつてチグリス、ユーフラテスの偉大なる文明が栄えた頃、学問や芸術の高度な結晶を生み出したのも、そういったある種優雅な人々の暮らしと文化があったからこそだと思う。
 戦争や興味本位のニュースからは、もういい加減に足を洗ってもいいころだ。そういう報道には、多くの人が飽き飽きしているし、そういう報道の影響で、真実はより見えなくなっている。サマーワという、イラクの片田舎の街は、もし自衛隊が行かなければ永久に日本人に知られることもなかっただろう、そんな辺鄙なところである。バグダッドのような都市でもなく、今の戦争やテロなどの舞台になることもなく、人々は戦争の後遺症であるインフラの破壊などに不便な思いをしながらも、平穏に静かに生きている。
 昨年サマーワを訪れたとき、人々は戦争も自衛隊も関係なく、それぞれの暮らしに没入していた。夕暮れのカフェには、伝統的なアラブの衣装ガラビーヤを来た人々が集い、静かにお茶を飲んでいた。家族のことや気候や家畜のこと、お祭りなどの行事のことなどを語り合い、お互いの健康を祝し、のんびりと過ごす時間。なんと素晴らしい一時だろうか。こういうのが、本来の人間的な暮らしだと思う。世界を覆う様々な問題に、巻き込まれてはいるのだが、そんなことはどこ吹く風、まるで時間が逆戻りしているかのようなその場の空気に、私はしばし彼らを見つめ、ほとんど撮影もせずに、傍らで煙草を吸っていた。そんな素晴らしい時間。素朴な人々の生活。それがなんとも心地良い。今年ももう終わりだが、来年はイラクはじめ、紛争が続く世界各地に少しでも平穏な日々が戻ってきて欲しいと願う。不条理な戦いとそれによる死。そういうことは起こらないにこしたことはないのだから。
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by crescentadv | 2005-12-30 22:40 | イラク

悠久の砂漠にて

熱い風を肌に感じながら、夕暮れの砂漠に佇んでいた。遊牧民に連れられたラクダたちが優雅に歩いている。遠くには油田の施設と燃えさかる原油の炎がかすかに見えていた。
 砂漠に来ると、どうして心が安まるのだろう。一方では、戦争や人々の喧噪やもっと些末なことまで含めた、有無を言わせぬ日常世界が目の前に存在しているのだが、砂漠の現実というのはそれらの生活に迫られた必然とも思える現実を遙かに超越した、真実の現実とでもいうべき、厳粛なものを感じる。
 数千年の昔から息づく雰囲気というのか、匂いというのか、そういったものが砂漠には確かに漂っていた。遊牧民たちは、時には国境をも越えて、何ヶ月も歩いて旅をするという。彼らの生き様は、まさに悠久の時の流れに逆らわず、自然体で生きてきた歴史でもあると思える。
 人間が多く住む都市では、空気や河の汚れもあるが、それ以上に人間の精神の汚濁は救いようのないほどに深刻になりつつある。だからこそ、人間は時には砂漠に帰るべきなのかもしれない。砂漠にいると、静かで聞こえるのはただ自然のみ。こういうところでかつての預言者たちが啓示を受けたのも、必然であったような気がする。そう納得できるのだ。
 今では、こんな砂漠のなかでさえも、完全には自然の流れに身を任すことは容易ではない。人為的な悪の象徴である軍や兵士たちの姿を散見するし、この地が国境や石油施設に近いという理由で、思考を妨げられたりもする。こんな時代に生きる私たちが、自然(神)の声に耳を傾けることは、容易ではないと感じるが、それを少しでも意識したり、気がついた人たちは、もう後戻りは出来ないと思う。
 この砂漠が象徴している永遠性は、決しておとぎ話ではないのだから。
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by crescentadv | 2005-12-27 11:57 | イラク

フセインのように死ぬ

イラク中部のカルバラーは、イスラームシーア派の人々が多かれ少なかれ、憧れ涙する聖地である。1200年以上も前に、預言者ムハンマドの娘婿・アリーの息子であるアル・フセインが、当時早くも血の争いの様相を呈していたイスラームを救おうと立ち上がり、敵に包囲されて一族諸共殉死した地であり、このフセインの死を受けて、シーア派は宗教的色彩を強めて今に至るのだ。彼の死を悼み、その命日には、盛大なお祭り(文字通りお祭りである)が、シーア派の人々の住む各地で開催される。
 イラクは、長い間それが禁止されていたせいもあり、先の戦争でサッダーム政権のたがが外れると共に、盛大に復活した。シーア派の人々の感情の爆発とでもいうべき姿は、泣き崩れ、叫び、自らを斬り付けて血を流しながら行進する姿に象徴されるが、そういった視覚的なものの内側には、たんにフセインをみすみす殺されてしまった悲しみや悔やみだけではない、よりおおきな意味があると私は感じた。
 常に少数派であり、政治的にも抑圧されてきた人々は、だが今大きな力をてにした。フセイン殉教の受難を自ら体感し、1200年前の灼熱の砂漠へ思いを馳せる人々には、さらなる苦難が待ち受けているような気がするが、フセインの血を受け継いだ人々は、その苦難をもまた乗り越えて未来を見据えて生きていくのだろう。
「アリーのように生き、フセインのように死ぬ」という言葉があるが、この言葉に彼らの精神的な面も含めたものが凝縮されているような気がする。そして、それは何故か海と大陸を隔てた地に生を受けた私の心をも、激しく拍つのだ。

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by crescentadv | 2005-12-24 19:53 | イラク

死に往く男たちの郷愁

1999年11月、私はチェチェン共和国の首都、グローズヌイにいた。その数ヶ月前から、再びロシア軍との戦争が始まっていた。必死の思いでグローズヌイにたどり着いた私たちは、しかし戦況の悪化もあり、ほとんど自由には動けなかった。常にチェチェン独立派の兵士たちと行動を共にし、彼らの人柄の良さや敬虔な心、その純粋さに接し、日毎に彼らに惹かれていく自分があった。
 すでにロシア軍の空爆などで、がれきの山と化していたグローズヌイで、彼らの陣地で世話になり、食事を与えられ、自由に撮影も許され、私たちはほんとうに手厚く遇されていた。しかし、そんな時間も長くは続かない。ロシア軍の大部隊がグローズヌイ郊外に迫っていた。日に日に、砲撃が増し、いつ首都で激戦が始まってもおかしくない状態、そんな中で私たちの存在は、彼らには重荷になっていたと思う。しかし、そんなことを全く感じさせなかった彼ら。カメラを向けると、精一杯の笑顔で応えてくれた彼ら。しかし、最後の数日は、彼らの動きも慌ただしく、その表情には日に日に緊張感が漲っていくのが、傍目にも明らかだった。私たちはもう少し残りたかったが、彼らは私たちの安全を最優先し、安全に逃がすために、大変な労力を払ってくれた。別れ際に何人もの兵士たちと固く交わした握手、そのぬくもり、生の鼓動を私は忘れることができない。
 今、彼らの多くが死んでいったことを、私は知っている。愛する大地のために、家族のために、その文化を守るために、命を賭して戦い、殉教者となった男たち。彼らほど、人間らしく生きた人々を私は知らない。その地に平和が訪れることを祈り、またその地に出向いていくことを夢見ながら、それが私の生きる力にもなっている。
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by crescentadv | 2005-12-15 22:39 | チェチェン

静かな日々の中で

ガザの最南端のラファ。そのまた一番外れに近いところに、私の友人アブー・マフムードが住んでいる。彼の家はほんとうにエジプトとの国境近くにあったのだが、それが破壊され、その後移った家も破壊され、今では市内のスタジアムに仮住まいを余儀なくされている。そんな生活もいつまで続くのかわからない。彼自身は、同じような境遇にある人々と、政治的な活動にも関わったり、NGO 的な活動にも身を投じている。
 彼の奥さんは、初めて会ってから3年で、驚くほど老けてしまった。家庭のあらゆる仕事や子供たちのケアなど、全て彼女が背負い込んでいるのだ、それも当然かと思う。
彼らと私との関係も、当初のお互いが気を遣い会い、純粋に互いに好奇心を持ち、またお互いが多少の遠慮があったときから、少しずつ変化してきている。人間の関係とは、そんなものだ。彼らがパレスチナ人で私が日本人ということは、実はあまり意味をなさない。もっとも、日本人だからと、色眼鏡付きで見てくる人もいるし、それは若者の中に時折顕著に見られる。
私自身は、そういったことには出来る限り関わりたくない。アブーマフムードたちといても、多くの場合、静かに彼らの様子を眺めていることが多かった。彼らの状態は、ある意味特殊であり、一方多くのパレスチナ人に共有される不条理を体現している人々でもある。私より3歳ほど年上なだけの彼やその家族の失意の日々は、見ていても辛いものがあるが、彼らも希望をもっているからこそ、生きていられる。そこに、私自身も希望を見いだしているのかもしれない。
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by crescentadv | 2005-12-13 21:19 | パレスチナ

バグダードのカフェ

イラクは言わずと知れたカフェ文化の根付いたところである。といっても、知らない人の方が多いかも知れないが。
 2003年の戦争の前から、夕方になると、男たちがカフェに集い、シーシャ(水煙草)を吸いながら、トルココーヒーやアラブティーを飲み、友人らと語り合い、テレビで映画を観て、バックギャモンなどのゲームに興じるという光景が繰り広げられていた。そして、それは戦争が終わってからも変わらず続いていた。バグダードのカーディミーヤ地区の市場の一角にあった小さな、そして古いカフェ。ふと足を止めて中をのぞき込んだときに、その古さと独特の味わいのある雰囲気に誘われて、足を踏み入れてしまった。おそらく近所の人たちなのだろうか。店の人も客も、誰もが顔見知りのようなファミリアな雰囲気があり、それがとても暖かく、ゆったりとした空気が漂っていた。ニュース的には、連日のようにテロの報道があり、物々しい雰囲気に包まれた米軍のパトロールが通りを行き交っている中でのことだが、そういった一時的な非日常を少し脇にそれると、こういった長い歴史の流れの延長線上にあるような、人々の生活がある。これは、どんなことがあっても、途切れることなく続いていくたぐいのものだと思う。人々の照れたような、控えめな友好的な態度も心地よく、わけもなく長居してしまったことも記憶に新しい。私にとってのイラクの思い出とは、そういった心地よいものが多い。
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by crescentadv | 2005-12-09 00:03 | イラク

殉教者たちの記憶

長い間戦いが続いていると、戦いそのものが風化していくということはありがちなことでもある。パレスチナでは、あまりにも長い間紛争が続き、むしろそれが生活の中での日常と化してしまった。現在でもそれが続いている。だからこそ、彼らはポジティブなのかもしれないし、だからこそ、未来へのより強い欲求を漲らせているのかもしれない。どの家族にも、一人や二人の死者を出しており、それを彼らはシャヒード(殉教者)と、尊敬の念を持って呼ぶ。戦闘が激しくなると、積極的にシャヒードになろうとする風潮さえ生まれてくるが、全体としては生きれるのなら、生きるべきだという考えがある。それが、イスラームであり、彼の地の連綿と受け継いできた文化でもある。
 今パレスチナは、政治的には難しい時代を迎えている。だからこそ、自分たちの生活を大事にしているし、より生活に目が向いているのではと思う。殉教者がいることが当たり前の光景。そのポスターも、いつか地中海の熱い日に光に晒されて、色あせ朽ちてゆく。それでも、殉教者の記憶は、永遠に人々の中に息づいている。誰かが生きている限り、その人たちが生きた証は、途切れることなく永遠の生を生きてゆく。
 ガザの日の光を浴びながら、白い砂の大地と白い壁の家々の中を歩く。いつしか、視界をも白いベールが覆い尽くし、白い闇の中で私はこの人たちの未来を、かすかに視界の中に捉えたような気がした。そんな私に時折視線を投げながら、パレスチナの女性たちは見事に洗濯物を干して、すぐに壁の向こうに消えていった。
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by crescentadv | 2005-12-05 23:24 | パレスチナ

漁師たちの憂鬱

パレスチナは、公式に土地を失って以来初めての、大きな目に見える変化の時を迎えている。ガザからイスラエル軍とユダヤ人入植地が撤退し、先頃エジプトとの国境も再開。はじめてパレスチナ警察が国境の任務に就いたという。何もかも良いことづくめのようだが、実際にはそういう政治的、経済的な動きの展望はあまり楽観的にはなれないように感じる。
 パレスチナに限らず、地球上に生きている人々は、自分たちの受け継がれた文化、生活を維持しながらも、世界との付き合い方も考えないといけない。パレスチナの人々は、より以上にそういうプレッシャーがある。彼らの戦いが世界中でも有名な戦いとなり、それは単に戦争に勝つ(あるいは負ける)ことだけでは済まされず、彼らは常に世界の中のパレスチナという立場を強制されてきた。少なくとも対外的にはそうだったし、これからもそうだろう。でも、そういう側面は政治家や著名なパレスチナ人の担当で、私はごく普通のパレスチナ人たちと接し、彼らの気持ちを感じたいと思っている。
 ちょうどアラファートが亡くなった頃、私はガザにいて、家を破壊された友人や、ガザ市内のホテルの前のビーチで、毎日網を打っていた漁師たちと話していた。彼らの多くは、世界中のメディアを騒がしていることにほとんど無関心(あるいはそれを装っていた)、日々の生活のことや、ことに漁の水揚げが芳しくないことを気に病んでいた。しかし、これも沖合にイスラエル軍の船が巡回し、パレスチナ人の漁師たちが沖に出ることが出来ないからで、つまり人為的な障害の結果である。努めて明るく振る舞い、仲間たちとふざけてはしゃぐ彼らだが、作業の合間にふと見せる仕草や後ろ姿は、そのときのガザの雰囲気とも相まって、どこか悲哀を漂わせているように感じた。もちろん、生活に必死である彼ら自身は、そんなことに感じ入っている余裕はないのだろうが。
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by crescentadv | 2005-12-01 21:30 | パレスチナ