Uncertain Odyssey


世界叙情記
by crescentadv
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カテゴリ:イラク( 7 )


路上の光景

カルバラからバグダードに向かう道は、今では大変危険な道になってしまった。とはいえ、ほんの一年少し前には、まだ通ることができたし、そこにはのどかなイラクの風景が、眼前に静かに拡がっていた。
 ちょうど、シーア派の最大の祭りである、アシューラーの時期だった。カルバラのアル・フセインモスク周辺には、たくさんの巡礼者が集っていた。イランからの巡礼も多く、街は興奮の渦に包まれていた。カルバラを後にしてバグダードへの途上で、人通りの少ない国道沿いにいくつかの土産物屋がひっそりとあった。棗椰子の葉で編んだ帽子や小物入れ、それに各種ドリンクや簡単なスナックを売っていた。が、もちろん地元の人でもあまり通っている気配もなく、店番の少年は、暇そうに横になっていた。私を見て駆け寄ってきたが、買いそうもないと悟るや、すぐに店番に戻っていった。暑い午後の一時であった。イラクというと、どうしても戦乱のイメージが強いのだが、私が思い浮かべる光景はこういった静かなものが多い。また、これらが本来のイラクの姿だと思うし、これこそが長い間続いてきたこの地域の暮らしや空気を伝えている真実だとも思う。あまり冷えていないコーラを飲み、焼けるような空と連なる棗椰子の林を眺め、私は一路バグダードを目指したのだった。
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by crescentadv | 2006-01-03 23:06 | イラク

サマーワのカフェにて

連日の流血事件にもう感覚も麻痺してしまっているイラクの情勢だが、元来彼の地は静かな穏やかな自然と人々の暮らし、それにゆったりとした時の流れる地である。歴史的にも、かつてチグリス、ユーフラテスの偉大なる文明が栄えた頃、学問や芸術の高度な結晶を生み出したのも、そういったある種優雅な人々の暮らしと文化があったからこそだと思う。
 戦争や興味本位のニュースからは、もういい加減に足を洗ってもいいころだ。そういう報道には、多くの人が飽き飽きしているし、そういう報道の影響で、真実はより見えなくなっている。サマーワという、イラクの片田舎の街は、もし自衛隊が行かなければ永久に日本人に知られることもなかっただろう、そんな辺鄙なところである。バグダッドのような都市でもなく、今の戦争やテロなどの舞台になることもなく、人々は戦争の後遺症であるインフラの破壊などに不便な思いをしながらも、平穏に静かに生きている。
 昨年サマーワを訪れたとき、人々は戦争も自衛隊も関係なく、それぞれの暮らしに没入していた。夕暮れのカフェには、伝統的なアラブの衣装ガラビーヤを来た人々が集い、静かにお茶を飲んでいた。家族のことや気候や家畜のこと、お祭りなどの行事のことなどを語り合い、お互いの健康を祝し、のんびりと過ごす時間。なんと素晴らしい一時だろうか。こういうのが、本来の人間的な暮らしだと思う。世界を覆う様々な問題に、巻き込まれてはいるのだが、そんなことはどこ吹く風、まるで時間が逆戻りしているかのようなその場の空気に、私はしばし彼らを見つめ、ほとんど撮影もせずに、傍らで煙草を吸っていた。そんな素晴らしい時間。素朴な人々の生活。それがなんとも心地良い。今年ももう終わりだが、来年はイラクはじめ、紛争が続く世界各地に少しでも平穏な日々が戻ってきて欲しいと願う。不条理な戦いとそれによる死。そういうことは起こらないにこしたことはないのだから。
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by crescentadv | 2005-12-30 22:40 | イラク

悠久の砂漠にて

熱い風を肌に感じながら、夕暮れの砂漠に佇んでいた。遊牧民に連れられたラクダたちが優雅に歩いている。遠くには油田の施設と燃えさかる原油の炎がかすかに見えていた。
 砂漠に来ると、どうして心が安まるのだろう。一方では、戦争や人々の喧噪やもっと些末なことまで含めた、有無を言わせぬ日常世界が目の前に存在しているのだが、砂漠の現実というのはそれらの生活に迫られた必然とも思える現実を遙かに超越した、真実の現実とでもいうべき、厳粛なものを感じる。
 数千年の昔から息づく雰囲気というのか、匂いというのか、そういったものが砂漠には確かに漂っていた。遊牧民たちは、時には国境をも越えて、何ヶ月も歩いて旅をするという。彼らの生き様は、まさに悠久の時の流れに逆らわず、自然体で生きてきた歴史でもあると思える。
 人間が多く住む都市では、空気や河の汚れもあるが、それ以上に人間の精神の汚濁は救いようのないほどに深刻になりつつある。だからこそ、人間は時には砂漠に帰るべきなのかもしれない。砂漠にいると、静かで聞こえるのはただ自然のみ。こういうところでかつての預言者たちが啓示を受けたのも、必然であったような気がする。そう納得できるのだ。
 今では、こんな砂漠のなかでさえも、完全には自然の流れに身を任すことは容易ではない。人為的な悪の象徴である軍や兵士たちの姿を散見するし、この地が国境や石油施設に近いという理由で、思考を妨げられたりもする。こんな時代に生きる私たちが、自然(神)の声に耳を傾けることは、容易ではないと感じるが、それを少しでも意識したり、気がついた人たちは、もう後戻りは出来ないと思う。
 この砂漠が象徴している永遠性は、決しておとぎ話ではないのだから。
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by crescentadv | 2005-12-27 11:57 | イラク

フセインのように死ぬ

イラク中部のカルバラーは、イスラームシーア派の人々が多かれ少なかれ、憧れ涙する聖地である。1200年以上も前に、預言者ムハンマドの娘婿・アリーの息子であるアル・フセインが、当時早くも血の争いの様相を呈していたイスラームを救おうと立ち上がり、敵に包囲されて一族諸共殉死した地であり、このフセインの死を受けて、シーア派は宗教的色彩を強めて今に至るのだ。彼の死を悼み、その命日には、盛大なお祭り(文字通りお祭りである)が、シーア派の人々の住む各地で開催される。
 イラクは、長い間それが禁止されていたせいもあり、先の戦争でサッダーム政権のたがが外れると共に、盛大に復活した。シーア派の人々の感情の爆発とでもいうべき姿は、泣き崩れ、叫び、自らを斬り付けて血を流しながら行進する姿に象徴されるが、そういった視覚的なものの内側には、たんにフセインをみすみす殺されてしまった悲しみや悔やみだけではない、よりおおきな意味があると私は感じた。
 常に少数派であり、政治的にも抑圧されてきた人々は、だが今大きな力をてにした。フセイン殉教の受難を自ら体感し、1200年前の灼熱の砂漠へ思いを馳せる人々には、さらなる苦難が待ち受けているような気がするが、フセインの血を受け継いだ人々は、その苦難をもまた乗り越えて未来を見据えて生きていくのだろう。
「アリーのように生き、フセインのように死ぬ」という言葉があるが、この言葉に彼らの精神的な面も含めたものが凝縮されているような気がする。そして、それは何故か海と大陸を隔てた地に生を受けた私の心をも、激しく拍つのだ。

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by crescentadv | 2005-12-24 19:53 | イラク

バグダードのカフェ

イラクは言わずと知れたカフェ文化の根付いたところである。といっても、知らない人の方が多いかも知れないが。
 2003年の戦争の前から、夕方になると、男たちがカフェに集い、シーシャ(水煙草)を吸いながら、トルココーヒーやアラブティーを飲み、友人らと語り合い、テレビで映画を観て、バックギャモンなどのゲームに興じるという光景が繰り広げられていた。そして、それは戦争が終わってからも変わらず続いていた。バグダードのカーディミーヤ地区の市場の一角にあった小さな、そして古いカフェ。ふと足を止めて中をのぞき込んだときに、その古さと独特の味わいのある雰囲気に誘われて、足を踏み入れてしまった。おそらく近所の人たちなのだろうか。店の人も客も、誰もが顔見知りのようなファミリアな雰囲気があり、それがとても暖かく、ゆったりとした空気が漂っていた。ニュース的には、連日のようにテロの報道があり、物々しい雰囲気に包まれた米軍のパトロールが通りを行き交っている中でのことだが、そういった一時的な非日常を少し脇にそれると、こういった長い歴史の流れの延長線上にあるような、人々の生活がある。これは、どんなことがあっても、途切れることなく続いていくたぐいのものだと思う。人々の照れたような、控えめな友好的な態度も心地よく、わけもなく長居してしまったことも記憶に新しい。私にとってのイラクの思い出とは、そういった心地よいものが多い。
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by crescentadv | 2005-12-09 00:03 | イラク

寛容は滅びるのか

イラクには、マンダエ教という古い宗教があり、バグダードはじめ各地にこの小宗派のコミュニティーが残っている。が、03年のイラク戦争後、彼らのコミュニティーが危機に陥っている。主に、スンニー派の抵抗勢力によると思われる攻撃や嫌がらせに晒され、国外に脱出する人々が急増しているらしいのだ。
 イスラームが多数を占める地域にキリスト教よりも遙か以前からのコミュニティーとして存在し、その宗教の特異性や文化的な貴重さもあり、サッダーム・フセイン時代には保護されていたというそのコミュニティーは、戦争後に偏狭なイスラーム勢力により、絶滅の危機に瀕しているのだ。皮肉なものである。自由の為の戦いだったという米国の主張の矛盾が、ここにも見られる。少数派であるが故に、他の宗教や文化との平和共存を図り、それによって生きながらえてきた人々と文化。それが、なぜ攻撃されるのか。これほどの不条理もないと思う。彼らのところには何度も通い、その結婚式に参列を許されるなど、非常に手厚く迎えてもらったことは、いまだ記憶に新しい。
 私としては、そんな彼らが平和に暮らせることを祈るばかりである。が、日本も本来は、そういう文化面での支援なりを考えた方がいいのになあ、と心から思う。
再びイラクに行くときには、彼らの写真を持って、またチグリス沿いの教会を訪ねたい。人を疑うことを知らないかのような、穏やかな人々にまた会いたい。
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by crescentadv | 2005-11-25 22:41 | イラク

殉教の遠い記憶

見渡す限りの赤茶けた大地に一本の舗装道路が通っている。この道は、そのままバグダードまで続いていて、ずっと南へも続いている。周囲には、小さな集落と畑、ところどころにナツメヤシの木が見える。静かな午後のひととき。ほとんど車も通らないそんな中を、遠くから歩いてくる人たちがいた。多くは数人くらいのグループで歩き、そんな小さな集団が、遙か遠くまで続いている。黒装束の女性たちの姿も少なくない。
 彼ら(彼女たち)は、遠くから(おそらくバグダード辺りから)歩いてきたのだ。数十キロの道のりを、暑い日を浴びながら歩き続ける、一路カルバラを目指して。ほとんど1200年も前になくなったアル・フセインは、偉大な殉教者として、また悲劇の人として、多くのシーア・ムスリムに慕われ、彼の死を思うときに人々は悲嘆に暮れる。彼が亡くなった日(アシューラー)の一週間ほど前から、人々はカルバラを目指して歩き、カルバラで悲劇を追体験する。
 この行事と今のイラクの状況を重ね合わせるとき、1000年以上の時を超えて、当時の人々の姿が脳裏を過ぎり、時間を超越した何かを感じるのは、あながち気のせいではない。街道沿いに翻る赤い旗が夕日に映えて、その赤が目に染み入る。アル・フセインとその一族郎党の血が大地に拡がり、視界全体を覆い尽くしていくような錯覚に陥る。その前を、チャドル姿の女性たちが、静かに何か祈りの言葉を呟きながら、通り過ぎていった。
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by crescentadv | 2005-11-15 09:50 | イラク