Uncertain Odyssey


世界叙情記
by crescentadv
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砂漠の街での想い

しばらく前から、湾岸のある街に滞在している。今は日本は雨期だが、こちらはあくまでも乾き、灼熱の太陽が容赦なく照りつけている。これを書いている現在も、外の気温は40度を超え、さらに上昇を続けている。ここでは、驚くほど暇なこともあり、毎日とりとめもない思索に耽る日々だ。
 現在、イエスの時代のパレスチナの状況を記した本などを読んでいる。当時の世相と、そこからいかにイエスという人物が現れ、何をしたのか、その後どういう過程でキリスト教が生まれてきたのか、またキリスト教の正統派と異端派は、どう区別されてきたのか、云々。
 イエスに限らないが、歴史的に預言者と認められている人々は、多くの場合感覚の優れた人たちだったのだと思う。彼らは現世のあらゆる争いごととその源となっている、民族や言語、文化の違いなどを乗り越えて、遙か高みにある至高の神の国を見通していた。そして、そこに至る道を見いだしていた人たちだ。彼らの発言や行動は、現在の世界でも色あせることなく有効である。かつてないほど有効だといってもいい。そういうものの力を恐れる人々は、それらを神話の世界に落とし込もうとするが、少なからずの人々が、本質に気づいている(あるいは気づきつつある)と私は思う。
 今、パレスチナやイラク、アフガニスタン、その他諸々の地域で起きている争いごと、あるいは私たちの周囲で日々起きている、あらゆる些末な争いや不和、反目をみるにつけ、私の精神はかつてない疲労を感じる。多くの人々が、目の前の出来事に心を奪われ、それに対応するだけで精一杯なのである。人間と神のパイプとなり、日常を捨て去り至高の高みへと至った預言者たちの言葉を、一人でも多くの人が心にとめるならば、世界の争いも急速に消滅していくのだろうに、そんなことは実際には起こりそうにない。
 私たちは、些末なディテールから目をそらし、この世界にパラレルに現れている本質を見極める努力をするべきだと思う。私が書いていることは、多くの人には意味不明だと思う。それはそうだろう、全ての人に「ピン」とくるのなら、今の世界はもっと平安に満ちているはずだから。
 とりあえず、写真をアップできる状況ではないので、今回はとりとめもない想いの一端を書き留めておく。
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by crescentadv | 2006-06-26 18:18 | 日々の風景
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